2021/5/15

九州の旅(鹿児島編)

❖九州の旅(鹿児島編) 2021.5.9
 お袋を見舞いに行った帰りに、ぜひ訪れてみたい場所へ。それは、鹿児島県にある「知覧特攻平和会館」です。
なぜ行くのかと言われると、これも「靖國神社参拝」と同じ理由です。「死ぬまでに訪れて、先の戦争で若くして無残にも散って逝った方の御霊を癒したい」という思いです。
 
 5/8(土) 深夜お袋宅を出発し、一路鹿児島県へ。
 深夜ということで車も少ないことから、一般道を選択して進みます。最初に前原市から南に方向を変え、山越え。
これがきついこと、車はミニバンのため急坂のワインディングには不向きです。しかも決して広くない道路、夜です。外灯もなく先が見にくくヒヤッとする場面もありました。
 
 また、ナビはスマホを使用しているため、画面が小さく、前方が分かりづらい欠点もあり、非常に難儀しました。
 おまけに、道中の道は、県道ばかり選択されて・・・。ましな国道はないのか? と思われるくらいでした。
 しかし、車は少ないため、順調に進むので文句も言えません。これだけが唯一の救いです。
 熊本県に入ったあたりから、急に「国道3号線」が現れました。しかも、途中から、これが「専用道路」になります。道路長50kmもあります。ラッキー!
 
 しかし、先頭を行く車が制限速度一杯で走ります。それ以上出しません!片側一車線のため、あえなく追従。 後方にもそのうち車両がつきます。これが延々と30kmくらいまで続きました。その後は、「堰を切った水のように」スイスイと進みます。ホッ!
 
 5/9(日) 6時過ぎに第一の目標地、鹿児島県伊佐市の「曾田の滝」に到着
 それなりに明るいですが、まだお日様は顔を出していません。間もなくです!当然観光客もいません。早速、ドローンとカメラを持ち出し、滝が見える場所に移動。山ですから、日の出も遅いが、本日は曇りぎみ? 
 靄っとして明るくなりませんが、やむなく、ドローンを取り出し撮影に、滝近くには霧もあり近付けませんが、上空からなら撮影可能! やはり、お日様の明かりがほしいが仕方ありません。
 
 観光客を気にしながらの撮影ですので、早々に切り上げました。岩が水の流れで浸食されて壺ができたり、水の流れが変化したり、様々な表情を現わします。そして、落差は少ないが、最終的に滝もある。少し名残惜しくもあるが、曾田の滝を後にする。
 
 ・・曾田の滝・・・
 滝幅210m、高さ12mの壮大なスケールがあり「東洋のナイアガラ」とも呼ばれています。千畳岩の岩肌を削るように流れ落ちる水流とその轟音は訪れる人を釘付けにするほどで豪快。
 
  出典先:JalanHPより 
  次の訪問先は、「霧島神宮」である。
 時過ぎに、「霧島神宮」に到着。何とそこには「日本発祥の地」という塔が建っていました。
 初めて訪れるが、早朝も相まって厳かな雰囲気があります。鳥居をくぐり、手洗いのところには、明治神宮と同様に、手作りにの手洗い箇所がありました。方式も同じです。竹を使い、下から水が出ています。
 やはり、神宮だけあって、創りも、風格も宗玄です。威風堂々としています。いつものとおり、「家内安全~息子の縁談まで」お祈りしてきました。
     
 
 霧島神宮は天照大御神様の孫にあたる「瓊瓊杵尊(ニニギニミコト)」をお祀りしている神宮で、古事記による「天孫降臨」といって、天照大御神から、瓊瓊杵尊(天照大御神の孫)に現世に天下りして、現世を「知らすせよ」(現代風にいうと「統治せよ」)!と命じられ、降臨したと云われています。神社創建が6世紀と歴史ある神宮である。
  恥ずかしながら、私も神社・神宮を訪れる機会を得て、天皇の歴史を勉強しようとして「古事記」を勉強致しました。
ということで、冒頭の「日本発祥の地」というのが理解できました。ちなみに、神様が、日本列島で最初にお作くりになった場所は、四国の「淡路島」だそうです。
 
 
 次の訪問は、「鹿児島神宮」です。
 山間の道を経て、やっと下界に降りてきたという感覚でした。ちょうどお日様もやっとお顔を出して、照らしてくださり一挙に暑くなりました。
 ここの駐車場は、鳥居をくぐり境内にあります。車で入っていいのかなと思いながら駐車致しました。
石段を上り、本殿へ向かいます。本殿の規模としては平凡ですが、私がハッとしたことがあります。それは、本殿の前に来てお参りしようかと思って本殿を見ると、三種の神器でいう「鏡と思われる」ものが鎮座してあり、参拝者を映しています。
 この状況は、初めての体験です。心の中を映されているような神妙な感覚でした。
 一応、ここでも、お決まりの「家内安全~息子の縁談まで」お祈りしてきました。
 
  ・・・鹿児島神宮・・・
 御祭神は、天津日高彦火火出見尊(あまつひだかひこほほでみのみこと、山幸彦)、豊玉比売命(とよたまひめのみこと)天津日高彦火火出見尊の后神。 和銅元年(708)、高千穂宮を神社として、現在地に遷座された。
 
 

 知覧「特攻平和記念館」への途中、「豊玉姫神社」に立ち寄りました。

 「豊玉姫神社」の由来は、海の神である綿津見神(豊玉彦命トヨタマヒメノミコト)をお祀りしています。 綿津見神には二柱の娘がおり、姉の豊玉姫は川辺を、妹の玉依姫は知覧を治めることとなり、衣の郡(今の頴娃、開聞のあたり)をご出発され、 途中、鬢水峠、御化粧水、飯野、宮入松、白水を経て取違にお泊りになった。 ここで玉依姫は川辺が水田に富むことをお知りになり、急いで玄米のままの朝食をとり川辺へ先発された。

 平常のように白米をお炊きになった豊玉姫は遅れてしまったので、やむなく玉依姫の治めるはずであった知覧へ向かい、上郡の城山の下に居を定めて知覧を治められた。 ここで豊玉姫は民生を撫育された後崩御遊ばしたので、郷民はそのご遺徳を慕って社殿を建立し、鎮守の神として崇敬したのが当社のはじまりといわれる。

  豊玉姫神社には、「縁結び夫婦銀杏」というのが境内にあります。
 樹齢約450年、島津家十五代貴久公のお手植えと伝えられています。男木・女木が共に手(枝)をたずさえて(すみません写真ありません)おり、毎年たくさんの銀杏の実をつけている
 
 
 ここでも、息子の縁結び、孫の誕生と祈願いたしました。
 
 次の訪問先は、メインの「知覧特攻平和記念館」です。
 途中、左手、鹿児島湾内に噴煙を上げる桜島を見ながら、進みます。(残念ながら、黄砂がきつく、靄がかかり風もないため、勇壮な桜島は影を潜めていました。残念です。私が無知でしたが、桜島にも島民が住んでいます。びっくりしました。ラジオ放送を聞いていると、本日噴火があるとどちらの方向に噴煙・灰が流れる旨のことを放送していました。
 
 「知覧特攻平和記念館」に到着した時にはちょうどお昼頃、横の広場で、ご老人達がゲートボール大会をしていました。それを横目に平和な時間を感じました。
 
 
 最初に、目にしたのが敷地内ある「三角兵舎」です。実際に使っていたのを復元してありました。三角兵舎は、特攻隊員が寝泊まりしていた、兵舎です。土を掘り屋根より下を土内に埋め、周りに杉などの木を植え上空からわからないようにしています。
 
 
 
  「知覧特攻平和記念館」内ホール横には、特攻に使用された同機の飛行機など回収された機材が展示してあります。ホールでは、知覧飛行訓練場の案内ビデオが流れていました。最初は飛行訓練場であり、戦争終盤には、ここからも沖縄海戦に向け「特攻隊員」として、飛び立ったいう映像でした。
 
 
 展示場内に入ると、壁面に無数の「遺影写真」が飾られその下には、出撃に際して、家族(父母、兄弟、妻)に当てられた手紙(遺書)が納められていました。
  若くは17歳から年長者でも32歳、多くの若者が知覧を飛び立ち、敵艦に体当たりして命を護国に捧げています。 その出撃間際の遺書は、子を持つ親としては 「涙無くしては」 読むことができませんでした。
 
 
 出典先:知覧特攻平和会館資料より
 「自分の死を決して悲しまないでください」と書かれているのを見かけます。護国のため、日本男子ととして、名誉の死を選んで・・・。それが、相反すること承知の上で逝ってしまう。悲痛な哀しさに親として胸が熱くなります。
 特に、母親宛の手紙が多い」と記載されていました。
 子を思う親の気持ちは同じなれど、男としては、第一に母親ということになるのでしょう! これは仕方のないことです。父親には悪いですが、私も事同じであれば同様でしょう。
 そういう点からもどんなに誠意努力しても「母親の愛情には勝てません」父親というのは寂しく孤独な存在であるというのをまざまざと感じました。
 
 
 知覧特攻平和記念館出て、周りの記念碑などを見ながら、清々しい空を見上げ、この空に散って逝った特攻隊員をたたえながら、知覧を後にした。 横では、お年寄りがまだ、ゲートボールで賑わっていました。平和な日々である。
 
 「知覧特攻平和会館」、広島にある「平和記念資料館」などの宣伝活動がなさすぎだと思います。戦争の痛ましさと事実を訴えるなら、SNS等を使い全世界にアピールすべきです。そこに訪れなくては分からない、理解できないでは、今の世の中では通用しません。展示室内の物は「撮影禁止」になっていました。これもおかしいですね、公然と展示してあるものを撮影できないとは・・・、非常に残念です。ホールで流れていたビデオを見ていても感動します。これをもっと多くの人に知って、観てもらいたいと思います。
 関係者の方々、一考してみてはどうでしょうか、それが残された人の責務ではないでしょうか?
 館内の撮影も、もっとオープンにして ”世界に広め” 、二度と戦争がない世の中を目指してはどうでしょうか?
 
 知覧を後にしながら、戦争というものを考えさせられる。 戦争はあってはならないが世界の国々ましては近隣の国が戦争を考えていないというのはあり得ないえないことで、隙あらば領土侵略・拡大し、「オラの領土だと平気な顔で占拠する中国、韓国、ロシアもある」ということを知らねばいけないことも事実であります。
 
 我々日本人は戦後76年平和ボケしているのでは? 日本が一回の敗戦で、戦後他の国に馬鹿にされ、やじられ、謝罪させられ、お金をむしり取られてもまだ気づかない。
 おまけに日本の領土を実行支配されても取り返すことをしない? できない! いつしか、領土は奪われ、日本は滅ぼされるかも知れない。苦言を申すところなり。
 日本国民が時代錯誤にハマっているのが怖いくらいである。
 
 以上、このくらいにしておかないと、愚痴が永遠に続きそうであるから、ここらへんで幕にします。
 
 鹿児島県に来て、鹿児島県人の一端が垣間見られました。それは、相対的に「交通規則に従順であること!」に気づきました。
 これは、あくまでも私感ですが、車で追い越し車線を突っ走っていくような事はないです。皆さん大人しい走りをしています。びっくりしました。
   ”名古屋、三河の人” 見習いましょう!!